納得できればそれでいい

28/01/2022

雑感


 世間で言う「うまい絵」ってなんだろう、と考えてしまいます。

2021年の年末からTwitterタグ「#一日一絵」をつけて毎日絵を投稿していて、その影響で他の人たちの絵もたくさんみるようになったんですが、うまいのなんのって。

「ラフですが~」とか「練習です」って投稿しているけど、もう才能が溢れていてまぶしい。

なんで自分はこんなにヒィヒィ言いながら描いているのに下手なままなんだろう、彼らは軽々とそこを乗り越えていて、最近はけっこう落ち込んでいます。


で気づいたんですが、その絵を描いた本人は下手だと感じている作品を「うまいじゃん」と思うのって、隣の芝生は青く見える現象というか、無いものねだり現象なのかなと。

作品をうまいかどうか判断するとき、自分の思考回路では以下の順序で判定が行われています。


(1)商品として売られていてもおかしくないクオリティか

(2)作品として破綻している箇所はないか

(3)自分には描けない要素があるか


おおざっぱに三つに分けましたが、まず瞬間的に(1)が判定されます。これって恐らくほとんどの人がそうじゃないでしょうか。ここのクオリティが高いと「うおおぉぉすげー」とテンションが上がる。

でここから(2)の粗探しがはじまる、と。「いやでもここは形が変だな」とかちょっと冷静に観察するフェーズです。これも多くの人が同じ思考をするのではないでしょうか。絵の素養がある人ほどここに割く時間が多いのではないかなあと想像しています。

自分の場合は素養の低さもあって(2)はそんなに重視しておらず、すぐに(3)のフェーズへ移行します。これはどうでしょうね、みんな考えているのか。日本マンガの神様的存在の手塚治虫氏は事あるごとに「ボクにもできるよ」と言っていたそうですから、絵を描く人の多くは考えている点かなと思います。


で、ここからが本題です。すみません長々と。


最近ものすごく衝撃を受けた絵を Twitter でみました。こちらです。



プロフィールと過去のツイートを読む限り「てけりり先生」という方はずっと絵に苦手意識を持っていて、最近になって本気で上達しようと取り組み始めたようです。毎回アドバイスも求めていて、他の方からの助言を真摯に受けとめている印象を受けます。この絵は挑戦開始から28日目の絵です。

めちゃくちゃ上手い。先述の(3)自分には描けない絵です。本人のコメントにも書いてあるとおり「ダイナミック」で「絵の内容が十分に伝わる」内容です。本人が描きたいと思っているものをちゃんと具現化できる能力が凄まじいのです。心底うらやましい。

そして当ツイートの改善点の項目を読んで、自分は複雑な気持ちになりました。てけりり先生ご本人はパースのおかしさに気づいており、そこを直したがっているのです。「なんでだよ、最高に良い絵じゃん。勿体ないなー。」と思わず叫びたくなります。

恐らく自分が同じ状況に置かれたら、ちゃんとパースの取れた絵を描きたいと同じように思ったはずです。しかしその技術を学んだが最後、もうこのような絵を描くことはできなくなります、少なくとも自分は。学ぶことでそれ以前の感覚を失うということもあって、絵に関してはそれが如実に表れやすいものです。だから小さな子供が描く絵はすごい、と言われるのです。

で、絵画の技法を学んでしまうことでこの絵が描けなくなってしまうのではないかと不安になる一方、ご本人からしたら先述の(1)のような高クオリティを目指しているであろうわけで、それが達成できたほうが喜ばしいに決まっていますから、本当にヤキモキしてしまって。いや、本当に余計なお世話なのですが。

ただ、センスは失われるものではないので技術的な上達後もすごい絵を描くであろうことは想像に難くないです。てけりり先生がバズる日は遠くないと思っています。

以上は個人的に感じたことで、人によって絵を「うまいなー」「下手だなー」と思う感覚は違います。正解は無い。のでてけりり先生には望むように上達していただきたいし、自分の場合は才能の塊のような絵は描けないので、商品になりそうな絵を目指して努力するしかないなと思った次第です。


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